11月5日(木) 「佐知」という女性

 実は先週は、映画をもう一本観ている。「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」である。

 当初は鑑賞候補に入っていなかったのだが、何人かの友人の薦めがあったので、時間を作って観に行くことにした。

 土曜日の午前中、長男の個人面談を終えた後、美容院で髪の毛を切って、一度家に戻ってから新宿に出た。新宿ピカデリーで、2時過ぎの回を予約してあったので、一人で観た。

 一人で観に行く映画は初回に限る。できれば、新宿は避けた方が無難という事を学ぶ。

 ロビーは、カップルで溢れかえっており、歩くのにも一苦労した。


 映画は、太宰治の「ヴィヨンの妻」をベースに、太宰の他の作品のエッセンスも取り込んである。
ヴィヨンの妻」は、太宰治夫妻がモデルである。

 戦後の東京で、才能がありながら放蕩三昧(酒・女)を続ける小説家大谷(浅野忠信)を、貧しくも健気に支えて暮らす妻の佐知(松たか子)。これまでに夫が踏み倒した酒代を、その飲み屋で働くことで肩代わりすることにした。佐知は水を得た魚のように生き生きとし始め、そんな妻を目にした大谷は、いつか寝とられ男になるだろうと呟く・・・

 「佐知」という女性を観ていて、五木寛之の『人間の覚悟』を思い出した。佐知こそ「信じる覚悟」ができた人だと思った。

 解説の中で齋藤孝さんも言っているが、浮気されるとすぐに離婚する夫婦が多い中で、自分たちに起こる様々なダメージを、全部自分たちで回収していくという覚悟が、特に佐知という女性にはあって、その〝運命を引き受ける覚悟〞というものが、彼女の周りの空気を軽くしていく。

 敢えて、このような状況に身を置きたい女性はいないと思うが、危機的状況に追い込まれた時、夫婦の真価というものが問われるのかもしれない。