5月19日(火) 見守られて
5月14日の日記でも触れたが、主人は現在ニューヨークに留学中である。成田―NYは13時間、時差はサマータイムで13時間ある。(日本の方が進んでいる)
交通手段の発達で、地球は狭くなったというけれど、やはり遠い・・・
一方、通信手段の発達で、外国を身近に感じることができるようになった。
電話、メール、そして現在では、インターネット回線を使用したテレビ電話の普及で、顔を見ながら会話ができる。顔の表情や、部屋の様子も分かり、とても心強い。しかも、インターネット回線を使うので、タダである。
私も主人と、Skypeというテレビ電話で、朝と夜(NYの夜と朝)の2回、会話している。
できるだけ、NY時間で挨拶をして、NYの朝は、お天気や気温、体の調子を聞いたり、その日の予定を聞いたりする。NYの夜は、その日の出来事を聞いたり、食べた物を聞いたり・・・何気ない会話だが、離れているだけに、大切な時間である。
もちろん、留守宅を預かっているので、事務連絡も欠かせない。
しかし、昼夜逆転しているために、テンションが微妙に違ったりすることもある。
たとえば、NYの朝、主人はバリバリ仕事モード、私はおやすみなさいの一歩手前なんていう時、ちょっとした摩擦?が起こることもある。
今年の秋で、結婚20周年を迎える夫婦、そこは、さりげなくかわすのが大人というものだろう。
ところで、主人や、職場の友人に言わせると、ニューヨークから帰ってからの私は、生き生きとして、はじけているそうだ。
ゴールデンウィークを利用して、NYの主人のもとを訪ねたが、アメリカにゴールデンウィークなどというものは存在せず、従って、土・日曜日以外は、主人にも授業があった。
私にとって、今回のNY行きは、初めて一人で行く海外旅行だった。にも拘らず、主人は授業があるので、空港まで迎えに来れないという。
空港から一人でタクシーに乗り、大学まで行かなければならないと考えただけで、不安でドキドキしたのを覚えている。
翌日からも、午前中は授業があったので、一人でNYの街を回らなければならなかった。
・・・これが良かった。NYの街は、私が思い描いていた怖い街ではなく、自由で明るく、刺激的、かつ温かい街だったのだ。
私は、心がふっと軽くなったようで、来る前の不安はどこへやら、一人で地下鉄とタクシーを乗りこなし、NYの街を歩き回ったのである。セントラルパークで迷子になりかけたのも、今となってはいい思い出である。
不思議なことだが、NYに行ってからの方が、例のSkypeで話すので、東京にいた時より、会話する時間が確実に長い。
しかも、PCの前に座って、そのことだけに集中するのである。密度も濃いのだ。
遠く離れているのに、むしろ見守られているように感じる。
話は変わるが、学校の保護者会で、思春期の子供の接し方のアドバイスで、「手を離して、見守りましょう」と言う事が、さかんに言われる。
分かっているつもりでいたが、まさにこういうことなのだと、改めて実感した。
子供も大人も関係ない、人は誰かに見守られて、初めて羽ばたけるのだということを。