5月21日(木) 社会復帰して
私は大学卒業後、2年間副手として研究室に勤務した後、同じく大学内の付属博物館で、学芸員として働いた。・・・と言えば聞こえはいいが、小所帯なので、実際は、何でもありである。
その間、26歳で結婚し、29歳で長男を出産するまで、勤務した。母校には中学から入学したので、18年間お世話になったことになる。
それから、しばらくの間、いわゆる専業主婦で、その間の話は、また別の機会に譲ることにする。
2005年12月、一念発起して、社会復帰を主人に内緒で企てるが、某都市銀行の面接が、暮れも押し迫った29日の午前中だったため、暮れの朝からスーツを着て外出するのに、結局暴露し、落ちたら笑われるだろうな〜、などと考えながら、吐く息も白い冬の朝、足取りも重く面接に向かったのである。
金融機関のみならず、いわゆるOL経験の無い私なので、面接官はとても優しかったし、話も弾んだが、ペーパーテストの出来も、いいのか悪いのか、よく分からなかったので、肩を落として、帰宅したのである。
ところが、その日のうちに、内定の電話があり、狐につままれたような気持で、今度は、本当に働けるのか心配になり、希望と不安が入り混じった気持で、新しい年を迎えたのである。
初めての会社勤めは、とても勉強になった。
銀行の支店勤務を以て、会社勤めを一般化するには、少し無理があるのを承知の上で言及すれば、
世の中のお父さんたちは、本当に大変な思いをして、働いているのだと、頭が下がる思いがした。
終身雇用制の是非は別として、多くの人が、卒業後、就職した会社で、雨の日も雪の日も、多少調子の悪い日も、面白くないことがあった翌日も、休まずに働くのだ。辞めたくなることだって、絶対にあったはずだ。
原則、週3日の勤務体制で、もうすぐ2年が経つという頃、下の娘も中学生になったし、そろそろフルタイムで働いてみようか、と思い始め、毎週日曜日に入る新聞の折込広告に目を通すようになった。
そこで、地元の公益法人の正職員採用の記事を見つけ、応募したのである。1人募集のところ、何人の応募があったかは確認していないが、面接後に頂いた交通費の、受領サインの用紙を見ると、31人分用意されていた。ダメもとで応募したので、縁はないだろうな〜、と思い事務室を後にした。
ところが、数日後、面接をした理事の一人から、採用の電話連絡が朝早く入った。ここが、現在の私の勤務先である。
40歳を過ぎた専業主婦の、社会復帰としては、書いてしまえば、順風満帆のようである。
専業主婦が、社会復帰を考えるのは、いったい、どのような時なのだろうか?
子供が大きくなり、手がかからなくなった時、お小遣いが欲しい時、教育費やレジャー費の足しにしたい時、そして、世の中に少しでも貢献したいと考えた時・・・などなど。人様々だろう。
私の場合も、全部当てはまるような気がする。
でも、思い起こして、その頃の正直な胸の内を告白すれば、私は夫にとって、子供にとって、いったい何なんだろう?という思いが強かった。妻だから母だから、家族のために尽くすのは、当たり前。ありがとうの言葉一つ無く、責められることも多かった。自分が必要とされているのかにも、自信が持てず、孤独だった。
子供が大きくなって、時間が出来たこと、また、銀行が採用してくれたのを幸いに、社会復帰を大義名分にして、外に逃げたのかもしれない。
動機はネガティブだったとしても、銀行での経験、現在の職場での人々との出会い、特に後者は私にとってかけがえのないものになった。
私にとって、本当に大切なものは何なのか、これからの人生どう生きるべきかを、もう一度考えるきっかけを与えてくれたからである。
そして今、答えを見つけた。
これからも、決して平たんな道のりではないと思うが、常にポジティブに毎日を過ごせたら・・・と思う。