5月26日(火) PTA活動

 5月14日(木)の日記で触れたが、今年は娘の中学校で、PTAの広報委員を引き受けた。これまでに、PTA役員をどの位やったか、思い起こしてみると、息子の時は、小学校2年生で、PTA地域委員、中学校1・2年生で、学級委員、娘は、小学校6年生で、卒業対策委員、そして今回、中学校3年生で、PTA広報委員である。

 PTA役員など、できるだけ逃れたいという消極派、ばんばん引き受けましょう、なんなら、執行部でも、会長でも、という積極派、様々であろう。

 私の場合はどうだろう?
最初の地域委員の時は、転校したてで、まさか、私がPTA役員になるなどとは、夢にだに思っていなかった。

 ところがである。まだ、小学校2年生だというのに(受験学年というのなら分かる)、委員決めになったとたん、沈黙の時間が流れた。

 これは、相当堪える。

 業を煮やした担任が、なんとあろうことか、転校生の母親である、私に振ってきた。「××さん、PTA役員をやると、地域の事もすぐに分かるし、情報も入るし、いかがですか?」ときた。

「まだ下に幼稚園の妹がおりますし・・・」と応戦してみたが、その幼稚園を卒園させたママさんから、「大丈夫よ」と援護射撃が入った。

 引き受ける義理はなかったが、せっかちな私は、沈黙に耐えられず、とうとう引き受けてしまったのだ。

 その頃は、仕事も持っていなかったし、やってみれば、とても楽しかった。

 地域委員として、一緒に活動した、何人かの友人とは、その後、ウォーキングを楽しむようになり、私が、仕事を持って、なかなか歩けなくなった今では、映画や展覧会に一緒に出かけている。

 地域で、一生お付き合いができる、友人を得ることができた。私の財産である。

 この出会いに、気をよくした私は、子供がお世話になる学校で、それぞれ、一度は委員を引き受けた。

 そして、今回の広報委員が、最後だと思っている。(息子も娘も中高一貫校に通っているので)

 今年は主人がいないので、土曜日に外出しやすいかなと思い、役員決めの時、手を挙げたのだが、結果として、今年度第1号の担当という事で、旅行や、息子の学校行事があったり、平日の委員会は、初めから欠席、土曜日も早退や、遅刻することが多く、とても心苦しく思っている。

 先週の土曜日は、まるまる1日参加できたので、保健室取材を何人かでした後、原稿書きは私が持ち帰り、週末を利用して、書きあげた。

 最近、ブログを立ち上げたり、広報委員に参加してみたりして、今まで気付かなかった自分の一面を発見した。

 どうも、書くことが嫌いではないらしい。

 書くと言えば、大学4年生の、卒論を思い出すが、確かに「優」(優・良・可・不可の4段階評価)だった事を思い出した。

 卒論は、時間との戦いで、楽しむ余裕など無かったが、これからは、好きな時に、好きなだけ、書けたら楽しいだろうな、と思う。

 東京在住アラフィフ主婦の、気まぐれ日記である。