6月4日(木) めまいを起こしたり、迷子になりかけたり

 私は、美術に造詣が深い訳ではないが、絵を眺めるのが、単純に好きで、よく、美術展に足を運ぶ。先月も、国立西洋美術館の「ルーヴル美術館展」と、東京国立博物館の「阿修羅展」を見に行った。

 これが、ひどかった。「阿修羅展」の方はまずまずだったが、問題は「ルーブル美術館展」の方だ。ルーヴル美術館から、素晴らしい額入りの絵画が来ているというのに、天井や壁がそのままで、一緒に見に行った友人と、「何とかならないかしら?」と、話したくらいである。

 特別展料1,500円も取って、これは無いでしょう、の世界である。

 そもそも、私が日本で訪れるのは、美術館では無く、美術展である。

 それに引き換え、パリのルーヴル美術館にしても、ロンドンの大英博物館にしても、今回の旅行で訪れた、メトロポリタン美術館MOMA、にしても、立派な美術館である。

 メトロポリタン美術館のコレクションは、300万点にもおよび、また、広さは、約18万5800平方メートル(東京ドーム4個分)と、とてつもなく広い。

 フラシュを焚かなければ、写真は取り放題(もちろん、他人に迷惑をかけない範囲で)、館内のあちこちで、学芸員が見学に訪れた子どもたちを絵の前に座らせて、「この絵には何が描いてあるかな?」などと、質問をしている。

老若男女が、それぞれのテンポで、絵画を鑑賞している。もちろん、「立ち止まらないで、お進み下さい」のアナウンスもない。美術館が、市民生活に溶け込んでいる感じがした。

 私は、エジプトをざっと見て、2階のヨーロッパへと、急いだ。今回は、半日しか、時間がかけられないからだ。

 展示室は迷路のようだった。そして、迷路の中へ、中へと、進んで行くうちに、次第にめまいがしてきた。

 こっちにゴッホのアイリスがあったと思えば、あっちには、ゴーギャンタヒチの婦人、他にも、マネ、モネ、ルノアールドガセザンヌ、スーラ・・・一度はどこかで見たことのある絵画が、これでもか、これでもかと、迫ってくる。

 私は、目を閉じて、大きく深呼吸をした。そして、現実に戻り、幸せをかみしめた。

 もう、精神的にも体力的にも、限界だったが、反対側のウィングを、見ていないことに気付き、20世紀美術と、ギリシア・ローマ美術を、ざっと見て帰ろう、と思ったのが間違いだった。

 EXIT→EXIT→EXITと進んでも、一向に出口に辿り着かない。こんな時、美術館は便利である。ほぼ、各部屋に監視員がいるからだ。

 私は、「出口はどちらの方向ですか?」を4・5回繰り返し、ようやく出口に辿り着いた。

 心細い経験のおまけは付いたが、これだけ見て、入館料はたったの20ドルである。

 私が、NYに住んでいたら、毎週でも訪ねて、絵を見て、疲れたら、コーヒーブレークして、また見て、などという、贅沢な生活を、是非とも送りたい、と心から思った。

 MOMAについては、別の機会に書けたらと、思う。