1月10日(日) ニューヨーク日記6(12月28日)

 数日前、ウェザープルーフ・ガーメント社の広告が話題に上った。11月にオバマ大統領が訪中した際、万里の長城で、同社のジャンパーを着用した。同社は、ホワイトハウスに無断で、プレスから写真を買い取り、勝手に看板広告を作ってしまったのだ。

 その看板は、タイムズ・スクエアに登場したが、写真を見る限り、どうも、私たちが大晦日に、カウント・ダウンを見ていた場所の目の前のようなのだ。

 夫に、いずれ撤去されるだろうから、見に行ったら?と勧めたが、「遊びに来ている訳じゃない」と、剣もほろろに断られてしまった。

 ところが、今朝、夫のブログを開いてみると、早速行って、ちゃっかり写真まで撮っていた。



 ニューヨーク滞在6日目は、滞在中唯一の遠出、ワシントンD.C行きである。早起きして、朝食も取らずに、34丁目のペンシルヴァニア駅に向かった。

 予約を取っていなかったので、アムトラックの切符売場に行って、行きは7時5分発を、帰りは20時45分発の列車の切符を購入した。ワシントンD.Cまでは、3時間20分かかる。日本で言えば、大阪日帰り旅行といったところである。

 列車の発車までの間に、構内のZARO’Sというパン屋さんで、クロワッサンサンドイッチを食べた。アメリカの食事は、概してまずいが、ここのパンは美味しかった。街では見かけなかったが、後日、再度訪れたグランド・セントラル駅構内にも出店していた。

 私たちはお店の中で食べたが、テイク・アウト(あちらでは、Go Outと言わないと通じない)用の、黄色いビニール袋が、とてもキュートだったので、袋物が大好きな娘のためにもらった。

 列車は運よく?定刻に出発した。出発してしばらくしてから、耳慣れたイントネーションが聞こえてきた。さりげなく見回すと、後ろの席に、私たちより若めの、真面目そうな日本人夫婦がいた。気が合いそうになかったので、話しかけるのは遠慮しておいた。

 ワシントンD.Cに到着し、外に出ると、快晴のいいお天気だった。が・・・風が、半端でなく強かった。

 最初に、国会議事堂に歩いて向かい、議事堂内のガイドツアーに参加するため、寒さの中30分ほど外で待った。ツアーは、アメリカ建国の歴史についての映画を観ることから始まるが、ホールに入れる人数に限りがあるため、中に入ってから、さらに、30分待たされた。

 12時20分の回のツアーに参加して、議事堂内を案内された。ツアーの場合、前の方にいないと、ガイドさんの説明がよく聞こえない、ということがよくあるが、最初にヘッドホンを渡されて、マイクを通した、ガイドさんの声がしっかりと聞こえた。さすが、合理的である。

 ドーム部分の装飾や、世界史?の教科書で見た絵画、有名大統領の彫像などがあった。ジョージ・ワシントンや、エイブラハム・リンカーンの彫像に混じって、ロナルド・レーガン大統領の彫像があったのが不思議で、思わず前で写真を撮ってしまった。

 国会議事堂を後にして、今回は時間の関係で、見学するのを諦めた、国立美術館や各種博物館の建物の間の道を、約1キロほど歩くと、ワシントン記念塔がある。鉛筆の形をした塔である。てっぺんまでエレベーターで上れるそうだが、残念ながら、当日券は売り切れだった。ここは小高い丘になっていて、風が吹き荒れており、体温を奪われるようであった。

 ワシントン記念塔から北へ15分ほど歩くと、いよいよホワイトハウスである。9・11以降、見学ツアーは原則廃止されている。上・下院議員の紹介のある、10名以上のグループには、許可されているらしい。

 私たちは、フェンス越しに、ホワイトハウスを眺め、記念写真を撮った。ホワイトハウスは思っていたより、かなり小さく感じた。

 正午はとっくに過ぎていて、お腹はかなり空いていたし、体の冷えも限界に近付いてきたので、私たちは昼食が取れるところを探した。少し歩くと、道の角に、CORNER BAKERY CAFÉと言うお店が見つかった。

 とにかく中に入って、チキンカルボナーラとコーヒーをオーダーした。コーヒーカップを手で包み込むと、指先がジンジンとしびれた。お腹が空いていたことを差し引いても、チキンカルボナーラとても美味しく、東京でも通用する味だった。

 アパートに戻ってから、ネットで、マンハッタンにお店があるか調べたが、残念ながら無かった。

 列車の時間までは、まだ時間があったが、見学する施設の閉館時間までは、あまり時間が残されていなかった。そこで、効率的に回るために、タクシーを使うことにした。

 お店の前でタクシーを捕まえ、リンカーン記念堂に向かった。椅子に深々と腰を下したリンカーンの、有名な巨大大理石像を見学し、記念撮影をした。

 見学を終えて、タクシー乗り場に向かう途中、朝鮮戦争戦没者慰霊碑を見た。1.5倍位のスケールで、兵士の行軍する様子を彫った彫像があるのだが、何とも不気味であった。

再びタクシーで、アーリントン国立墓地に向かう。墓地に着いたのが16時、閉園は17時である。パンフレットを手に入れ、1時間で何を見学するかを考えた結果、無名戦士の墓と、J・Fケネディのお墓に行くことにした。

私たちを見て、「おはよう、こんにちは」を連発する黒人の職員に、ケネディのお墓までは徒歩何分かと英語で聞くと、10分と言うから、時間的にはちょうどいい。無名戦士の墓は、同方向にあるらしい。あまりにうるさいので、「さよなら」を教えてあげた。語彙が増えて、満足だろう。

 無名戦士の墓を両側に見ながら、J・Fケネディのお墓に着いた。行ってみて初めて知ったのだが、妻ジャクリーン・ケネディ・オナシスと、小さくして亡くなった子ども2人も、一緒に埋葬されていた。

 その後、夕暮れ迫る墓地内を、時間が許す限り歩いた。少し小高い丘の上に立つと、右手に五角形のペンタゴンが見えた。ペンタゴン内は入れないし、タクシーも停車出来ないというので、タクシーで脇を通るだけ通ろうかと考えていたが、却って上から見て、形も分かったので、これで良しとすることにした。

 もう一度、J・Fケネディのお墓に戻ってから、出口を目指す。出口に着くと、ちょうど17時であった。

 続々と人が出てくるので、タクシーを確保しなければと思い、タクシー乗り場に急いだ。運よく、プールしていたタクシーの最後の1台に乗ることができた。17時以降、墓地まで乗ってくる人はいないので、このタクシーを逃したら、寒空の下、大通りまで出て、空きのタクシーを待つしかなかったので、本当にラッキーだった。

 駅ではたっぷり時間があった。昼食が遅かったので、お腹は空いていなかった。夫が、疲労からか、軽い貧血を起こしたらしく、顔色が悪かったので、ベンチを探して横にならせた。

 少し休むと回復したので、ショップを覗きまくった。サングラスも買い足した。美容室で見たVOGUEで、今年のサングラスの形の流行が、去年とは違うのをチェックしてあったからである。なかなか、似合う?ので、春になるのが楽しみである。(ニューヨークではかけていたが・・・)

 帰りのアムトラックでは、二人とも3時間まるまる爆睡して、「ペンシルヴァニア駅に着いたよ。」と夫に起こされるまで、気付かなかった。

 自宅アパートに着いたのは、翌午前1時ころであった。シャワーも浴びる気力もなく、歯磨きだけして寝てしまった。