5月13日(木) ニューヨーク日記4(5月2日)

 今回のニューヨーク行きは、最初に書いたように、帰国のための引越しの手伝いが、一番の目的だった。

 ただ、旅費をかけて、はるばるニューヨークまで来て、それだけではもったいないし、そもそも、単身所帯の引越しに、1週間もかからない。

 ということで、大いに遊ぶつもりでもあった。その中のメイン・イベントが、この日の、ファイブ・ボロ・バイク・ツアー参加である。ファイブ・ボロ・バイク・ツアーは、ニューヨーク市の五つの区(マンハッタン・ブロンクス・クイーンズ・ブルックリン・スタッテン)を横断する、自転車レースで、総走行距離は42マイル(約70km)である。

 朝5時、まだ暗いうちに目が覚める。ダンキン・ドーナッツの朝食を済ませ、6時半に自宅を出た。すると、6番街も、7番街も、バイク・ツアーに参加する自転車が、スタート地点であるバッテリー・パークの方向に向かって走っていた。

 私たちも、近所のセブン・イレブンで水を買ってから、14St.を西に向かい、ハドソン・リバー沿いのサイクリング・コースに出た。そこからは、南に向かって一気に走った。

 7時にバッテリー・パークに到着。メカニカル・サービスコーナーで、夫の自転車のタイヤに、空気を入れてもらった。

 日本でも報道されたように、昨日の夕方から今朝にかけての、タイムズ・スクエアでの爆弾騒ぎで、ツアーが予定通り開催されるか心配したが、杞憂に終わった。

 9時ちょうどに、3万人を超す参加者が、一斉にスタートした。私たちも、スタンバイしていた国際貿易センター跡地の手前の角を出発した。

 一番先頭のスタート地点は、6番街の始点のところで、私たちは9時15分に、そこを通過した。スタート地点では、テント内から、実況中継をしており、通過する人に、どこから来たかインタビューをしていた。

 私はおもむろに、自転車をテントの方向に走らせ、「From Japan!」と、大声で叫んでみた。その声はインタヴューヤーに届き、「From Japan!」の声が返ってきた。

 いつもは自動車だらけの6番街も、この日ばかりは、“自転車天国”だった。6番街を北上し、セントラルパークに入った。パーク内は道幅が狭いため、前がつかえ、自転車から降りて歩く場面も多かった。

 セントラルパークを抜けると、いよいよ、“ハーレム”である。一昨日歩いた場所を横目で見ながら、さらに北上した。

 いつもなら、家の前でたむろっている黒人が、この日は姿を見せなかった。その理由を、走りながら、夫と二人で推測してみた。

一つ目は、日曜日なので礼拝に行っていた、二つ目は、バイク・ツアーの警備に、Policeが大勢動員されていたので、多くが不法移民の彼らは、職務質問されるのを避けたかった、三つ目は、白人たちが遊んでいる姿を見たくなかった、である。

11時にマンハッタンを抜け、ブロンクスに少しだけ入って、再びマンハッタンに戻り、イースト・リバー沿いの道路を南に、クイーンズボロ・ブリッジまで走り、橋を渡ってクイーンズへ入った。

 イースト・リバー沿いの景色は、一昨日、サークル・ラインの船の上から見た、見覚えのある景色だった。

 クイーンズからブルックリンへ。ここは地続きで、レース中、最も長く感じられる場所である。途中1回だけ、休憩所に入って、水の補給と、エクアドル産プレミアムバナナ、サン・メイド ナチュラル カリフォルニア レーズン、LARABARをGetした。

 バナナは、輸送距離が短いので、熟してから収穫するためか、同じような黄色でも、日本で食べるバナナより甘く感じられた。

 ブルックリンからスタッテン島へは、ベェラツァノ・ナロウ・ブリッジという長い橋を渡った。渡り切ってすぐの公園に、ゴールは設けられていた。

 ゴールしたのは、午後4時。こんなに時間がかかったのには、二つの理由がある。一つ目は、セントラルパーク内がそうであったように、前がつかえて、歩く場面が意外と多く、時間がかかったこと、二つ目は、夫が途中、3回も足が攣ってしまい、その都度、少し休んだからである。

 私は、ナイチンゲールよろしく、甲斐甲斐しくマッサージなどしてあげた。ともあれ、“完走万歳!”である。

 しかし、このままでは終わらなかった。

 スタッテン島からマンハッタンへは、無料のフェリーで帰るのだが、なんと、フェリー乗り場で夫とはぐれてしまったのである。

 見失った、という程度のものではなく、完全にはぐれてしまった。状況は以下の通りである。

フェリー乗り場手前で、自転車をレンタルした人と、自前の自転車の人に道が分かれていた。これは、自転車をレンタルした人は、自転車を返却してから、フェリーに乗り込むためであった。係りの人に聞いたら、後で合流するというので、夫に、レンタルした人が出てくるところに来てね、と頼んで、軽い気持ちで別れた。

ところが、自前の人は、自転車と一緒のため、船底の入り口に誘導されていて、私の方は、通常の入り口に誘導されていた。

私の方に来てね、と頼んだものの、自転車を持った人は、通常の入り口には来られないことが分かったので、これは大変という事で、私の方が、船底の入り口で、夫を見つけようと思った。ところが、何といっても、参加者が多すぎて、見つけようにも、見つけられない。

船内アナウンスを頼んで、呼び出してもらおうと思ったが、たぶん乗っているでは、アナウンス出来ないと断られてしまった。

別れた場所にも戻ってみたが、見当たらず、そうこうしているうちに、1隻目のフェリーは出航してしまった。船底の入り口で、2隻目のフェリーに乗り込む人全員を見届けても、夫は見当たらなかったので、さっきのフェリーに乗ってしまったのね、と諦めて、通常の入り口に戻り、乗り口が開くのを待っていた。

子どもではないし、自宅には一人で戻れるが、夫を探して走り回ったので、汗をかいて化粧は落ちるは、その汗が目に入って涙は出るは、ボロボロになっていた。

そこへ後ろから、「いた!いた!」と懐かしい声がして、振り向くと、夫がいた。

夫はやはり、1隻目のフェリーに一度は乗り込んだが(流れに逆らって戻るのは不可能)、船内の階段を、自転車を担いで、通常の入り口まで戻って来てくれたそうである。

私が船底にいる頃、夫は上にいて、私が分かれた場所に戻った頃、夫は船底にいて・・・と行き違いになっていたようである。

迷子のおまけがついたが、これもいい思い出となった。5時30分発のフェリーで、マンハッタンには6時に着いた。

今度は、自転車を持ったまま、South Ferry駅から地下鉄1線に乗り、二人一緒に自宅に戻った。

 シャワーを浴びて、予約してあったレストランは、時間が間に合わなかったのでキャンセルし、その代わりに、ブルックリンからのマンハッタンの夜景を見にいくことにした。

 長い間工事中だった公園は、完成していて、雰囲気が良くなっていた。この日は30度近くまで気温が上がっており、夜になっても、まだ暖かかった。

 有名なブルックリン・アイスクリーム・ファクトリーの、バニラとチョコレート・チョコレート・CHUNKのソフトクリームを食べた。

 家に帰ってから、ハイネケン・ビールと日本酒「七笑」とピザ、クラブサラダ、紅鮭のサラダで夕食にした。

 それにしても、アクシデントだらけの一日だったにもかかわらず、心から楽しく、また機会を作って、参加したいと思ってしまった。