10月17日(日) 初めての川越まつり


 17日(日)は、子どもたちは二人とも中間試験前で、ねじり鉢巻き??で勉強をすると言うので、親は勉強の邪魔にならないように、朝9時には自宅を出て、電車で川越に向かった。

 16日、17日の両日開かれている、「川越まつり」を見物するためである。川越まつりは「川越氷川祭の山車行事」として、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

以前から一度は行ってみたいと思っていた。と言うのも、まだ学芸員として働いていた頃、川越に出張で訪れた際、展示してあった「山車」を見て、あまりの素晴らしさに、眼を奪われたからである。

 川越まつりの起源は古く、慶安元(1648)年に、城主であった松平伊豆守信綱が、氷川神社へ神輿や祭礼用具を寄進して、祭礼を奨励し、慶安4年、神幸祭が氏子の町々を渡御したことに始まる。

 東武東上線に乗り、川越市駅に降り立つと、早速、市内を練り歩いている山車の一台が出迎えてくれた。

 川越まつりでは、「江戸系川越型山車」が数多く登場する。

 山車の構造は、二層の鉾と人形から成り、四ツ車か三ツ車を持った台座の上に、回転台、その上に、二重のあんどん(鉾)を組む。上層に出る部分と人形はそれぞれ迫り上げ式エレベーター構造で、これは、城の門をくぐるために伸び縮み出来るようにしたのだが、現代では、電線を避けるために力を発揮していた。

 川越は「小江戸」と呼ばれ、当時の街並みが保存されている地区がある。その地区では、電線が地中に埋められているが、他の地区では、電線は地上である。

 この日は、山車を通すために、信号機も道路に平行に避けられていた。

 電柱や電線、信号機が無い町並みは、何と空が高く、解放感があることか、ということに気付かされた。

街並み保存地区を散歩しながら、川越名産のさつまいものお菓子も試食した。

 昼食に鰻を食べたあと、喜多院まで足を延ばした。昼食を取ったお店には、2004年に訪れた市村正親さんの色紙が飾られていた。

 再び、街並み保存地区に戻り、「山車の揃い曳き」を見物した。この日は、9台の山車が次々と巡行する予定だったが、夕方前に東京で用事があったので、途中で帰途についた。

 山車が各町内の会所前にさしかかったり、他町の山車とすれ違ったりする時に、お互い山車の正面を向け合って囃子の儀礼打ちを行う。これは、「曳っかわせ」と呼ばれているが、この時、山車の回転台がくるくる回転して、見事だそうだ。

 私たちは、くるくるとまでは回転していなかったが、曳っかわせに出会い、その楽しさを垣間見ることが出来た。

 2日目の夜の山車の競演は、この曳っかわせの際の、お囃子や、曳き方衆の提灯が乱舞する様が素晴らしいらしい。

 近い将来、夜の川越まつりを是非見物したいと思っている。