2月22日(火) 都会の夜景
昨夜、1年4か月振りに、以前アルバイトでお世話になった会社の上司・同僚と久しぶりに会った。
行き先は、夜景が綺麗な、とあるホテルの最上階だった。私の“サプライズ・リスト”に追加することに決めたので、ここでは場所は秘密にする。
“サプライズ・リスト”とは、「お気に入りに追加」機能と似ている。つまり、将来、何かの時に、誰かを連れて行って、感動してもらおう、というお店のリストである。
6時過ぎから、10時過ぎまで、4時間かけて、ゆっくりと食事を楽しんだ。
会話の内容は色々だったが、数年後に定年を迎える元上司が、後任の選任に、頭を悩ませている様子を見て、気の毒に思った。
大企業と違い、組織も小さければ、人員も常に不足気味、とくれば、自ずと、仕事内容は多岐にわたり、仕事量も多くなる。組織をまとめる事務局長の後任となれば、誰でもいいという訳にはいかないのだろう。
それを承知の上で、「物事、なるようにしかならないから。」と、一見無責任にも聞こえる、私としては激励の言葉を掛けた。
昨日の会話が頭に残っていたのだろう、今日になって、「決断する」とは、どういうことだろう、などということを突然考えた。
自分自身のことについては、自分で方針を決めれば、基本的には「決断」で出来る。多少家族に迷惑をかけることがあったとしても。
しかし、相手があることについて、「決断」しなければならない時は、そう簡単ではないだろう。
夫に言わせれば、「決断する」ということは、ゼロサムで、中間は無いという。「決断」出来ないのは、そのことから逃げているからだと言われた。
その通りかもしれない。「決断」には必ず「責任」が伴うからだ。「責任を負う」ということは、とても重いことだ。
元上司でさえ、あんなに頭を悩ませているのだから、私なんて言うに及ばない。
この先、何か「決断」を迫られる場面に出くわしたら、その時は、逃げずに、立ち向かっていける、勇気を持っていたい。
などということを、ふと考えてしまった。