3月6日(日) 卒業


 昨日は息子の高校の卒業式だった。中高一貫校だったため、中学の卒業式・高校の入学式は出席しなかったので、式に参列するのは、中学の入学式以来であった。

 小学校を卒業したての、可愛かった男の子も、今では、立派な青年である。

 進学が決まった子、浪人することに決めた子、国立大学の後期試験に挑む子、様々な立場の子がいれば、心の中も様々であっただろう。

 でも、皆、晴ればれとした顔で、卒業式に臨んでいた。久しぶりの友との再会も、心温まるものがあっただろう。

 卒業式第一部?は、卒業証書授与、褒賞者表彰、来賓挨拶、校長告辞、在校生送辞、卒業生答辞、校歌斉唱などの、型どおりのものだった。

 我が息子も、6年間放送委員を務めたとのことで、表彰された。図書委員と放送委員だけは、任期が原則6年らしく、卒業にあたって、その労をねぎらってくれるらしい。

 勉強はそれなりに頑張っていたようだが、朝は毎日大声を出し続けて、何とか呼び出されない程度の遅刻に止めた位だから、品行方正だったかは疑わしい。

 卒業証書の他に1枚、賞状がもらえたのはラッキーだった。

 校長告辞では、「エリートになりなさい」と言われた。これは、出世しなさい、お金持ちになりなさい、ということではない。創造し続けなさい、という意味である。

 ハーバード大学ではあるまいし、とは思ったが、これからの時代、人と同じことをしていては、生き残れないことも確かである。

 卒業式第二部?は、学年集会であったが、父母も参加した。担任一人一人から、卒業生に向けて言葉が贈られた。

 息子の担任からは、「就職しなさい、結婚して子どもをつくり、自分のDNAを残しなさい」であった。当り前のことのようで、案外難しいのかもしれない。

他には、「(中身が)かっこいい人になって」「自分達が選ばれた人だということを自覚し、人のために生きなさい」「その道のプロフェッショナルになって、温かな世界を作って」等々。

ちょっと過分な期待とも思えるが、18歳の青年の前途には、無限の可能性がある。志は大きく持って、前進して欲しいと思うのは、両親だけではないということだろう。

私は感動屋さんなので、号泣するかと思ったが、不思議と涙は出なかった。

理由は分からないが、男子校特有の清々しさ、様々な思いを秘めているに違いないのに、過去を振り返らず、前に向かって歩み出している、そんな雰囲気が、子どもたちから伝わって来たのではないかと思う。

 私も、前を向いて歩こう。

そして息子は、医学部に進学が決まっている。私が産んで、育てた子が、人様の命を預かる仕事に就くのかと思うと、少し怖い気がする。

そんな立派な人間に育てた自信なんて全くないし、まだまだ未熟もいいところである。一人で大きくなったつもりで偉そうな態度を取っては、いつもケンカになる。

卒業式当日も、まっすぐ自宅に戻ることは無かった。友達と遅くまで語りあった?らしい。私は、疲れていたので、先に寝てしまった。

今朝、朝食のパンを焼いていたら、息子が珍しく早く起きて来たので、嫌みは後回しにして、「卒業おめでとう」と声をかけた。

「ありがとう」と言ったので、「そのありがとうは、卒業おめでとうの言葉に対してのお礼?」と聞いてみたら、「6年間ありがとうございました」と言ってくれた。

こんな当たり前のことに、感動するのもどうかと思うが、息子も少し大人になったのかもしれない。

「人は生かされている」、そんな教えを、本当の意味で理解するのは、まだまだ先のことだと思うが、今は、誰が決めた訳でもない、自分で決めた道を、一歩ずつ、確実に歩んでいってほしい。

今になって涙が溢れて来た。

心から、卒業おめでとう!