3月16日(水) 大地震、その後
先週、11日(金)午後2時46分頃、M9.0の東日本大地震は起こった。
当初「津波地震」と呼ばれ、津波被害に因る死者は、万人単位に上ると見通しが示された。
亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、ご家族の方々には、哀悼の意を表したい。
私は東京にいて、少なからず非日常的な生活を送ってはいるものの、家族4人が揃って自宅で食卓を囲むことが出来る幸せを感じている。
被災者の方にせめてもと、気持ばかりの義援金を送った。
地震の翌12日(土)は、大学院生が自宅に来たり、13日(日)は、私の104歳になる祖母が、あまり具合が良くないというので、家族で病院にお見舞いに行ったりして、買い物には行かずにいた。
ニュースで、東京でも買占めが行われていると事を知り、14日(月)には、私が仕事に行っている間に、学校が休みになっている娘に、お米とスパゲッティ、醤油とお肉2日分を買いに行ってもらった。
スーパーのレジは30分待ちで、しかもお米は品切れ、お米屋さんに1時間以上並んで、新潟コシヒカリ10キロをGetしてくれた。
私も仕事が終わってから、スーパー2軒を回って、使えそうなものを購入した。
卵・牛乳・豆腐・肉の棚は、悉く空で、びっくりしてしまった。
15日(火)は、出勤前にコンビニで牛乳(最後の1本だった)を買ったり、仕事の合間に、ドラッグストアの店先に水を発見したので、生理用品、石鹸・シャンプーと一緒に購入した。
そしてこの日の夕方、奇異な光景を目撃した。環八にハザードランプを点滅させて、車が路肩に何台も停車していたのだ。
私は最初、事故かと思ったのだが、それにしては数が多すぎた。車から降りて話をしている人々の会話から、ガソリンスタンドの順番待ちの列だということが分かった。
そして、その人たちのイントネーションが、東京のそれとは違っていたので、車のナンバープレートを確認すると、「いわき」「水戸」などの、被災地から来た車だった。
前日の14日(月)に、福島第一原発の2号機の炉心溶融が起こって、高濃度放射能が放出したことから、被災地の人々の間に、被曝の不安が増大していることが推測された。
東京でも、外資系企業の中には、すでに自宅待機となっている会社もある。
この先いったいどうなってしまうのか分らないが、その時最善と思う手段を、選択できる情報と知識を持っていたい。
この日は夜、静岡を震源とする震度6の地震が起こった。今まで、家族で1つの防災袋だったが、急遽、リュックを4つ出してきて、家族4人分の防災袋を作った。
東北・新潟・長野・東海と震源地が拡散すれば、いつ、どこで、何が起こっても不思議ではないからだ。
今日16日(水)は、またまた娘に買い物を頼み、私も昼休みに駅のスーパーに買い物に行った。
何日か過ごせるだけの食料を揃え、ひと安心。
この食料がなくなる頃には、普通に買い物ができるようになっていることを願いつつ、買い占めの一端を担ってしまったことの罪悪感も感じつつ、家族を守るためだから仕方ない、と自分を納得させた次第である。