3月20日(日) 久しぶりの運転

 今日は、大地震直後、娘が乗り捨てた自転車を取りに行って以来、久しぶりに自動車を運転した。

 今日から、娘の学校が、保護者同伴なら、学校に残した荷物を取りに、登校可能との指示があったからだ。

 朝食を取って、買い物に行ってから、10時過ぎには自宅を出発した。

 私は、行動する時は、なるべく2つ以上の用事をリンクさせるよう、日頃から心がけているのだが、今日は、自動車で出掛けたついでに、ガソリンを入れようと思っていた。

まだ半分くらい残っていて、普段なら、残り4分の1程度に減ってから給油するのだが、給油事情があまり良くなさそうだし、混んでいても、待つ時間がある休日に入れようと思ったのだ。

環八を南に走ったが、ハザードランプを点滅させて、車が停車しているところには、ガソリンスタンドがあった。

もともと休業しているGSや、品切れの札を掲げているGSもあった。私は、日本ではセルフサービスのGSでは給油したことがないので、そんなことまで考え合せると、1か所位しかなく、そのスタンドは帰りの方向だったし、かなり混んでいた。

どのみち、学校に行くことが、一番の目的なので、先を急いだ。

環八は、普段では考えられないくらい、がら空きだった。

毎日のように、余震が続いているし、気分的に遊ぶ気にもならない。もちろん、ガソリンの節約ということもあるだろう。

汗だらけのジャージ類など、たっぷりの荷物を積んで、帰路を急いだ。

行きにチェックしたスタンドは、さらに車の列が伸びていたので諦めて、いつも入れる近所のGSに行ってみることにした。

行きつけのGSは、ガソリンが入荷しないとうことで休業だった(因みにシェル)。

 出光は品切れ、エッソがまだ大丈夫そうだったので、並んで待つことにした。

 程なく順番が来て、「ハイオク満タン」と告げた。

 休む間もなく忙しいだろうに、まして常連客でもないのに、アルバイトの対応がよく、気持良く給油ができた。

 12時ちょうどに帰宅して、昼食を食べて、片付けを終えると、一週間の疲れがどっと出たのか、何もする気にならなくなった。

 こんな時は寝るに限る、とベッドに横になった。

 時刻は確認しなかったが、夫に言わせると、3時間くらい寝たそうだ。

 私でさえ、何をするでもないのに、こんなに疲れるだから、被災者の方たちの疲れは尋常ではないだろう。それなのに、怒ることもなく、辛抱強く生活されている。

 アメリカのメディアも、被災者の忍耐強さと秩序立った様子には、アメリカ国内で称賛の声が上がっていると報道している。

 話は戻るが、外出していた息子からの電話で目が覚めた。「お米(ブレンド米)が10キロ2800円(ひとり1袋)、水(サントリー南アルプスの天然水)が2リットル88円(ひとり6本)で、駅のスーパーで売ってるけど、どーする?」というのだ。

 お米はもう充分なので断り、水はかなり安いので、買って来てもらうことにした。

 娘は私が仕事に行っている間に、買い物をしてくれたことで、災害発生時の食料事情は分かったと思うし、震災後、2回自動車で出掛けたので、燃料事情も目にすることができた。

 これは彼女にとって、大きな財産になったと思う。買いだめすることは、決してほめられたことではないが、暫くはスーパーの棚から、物が無くなるのも事実である。

 探してもいないが、今でも、懐中電灯や、単1・単2の電池は品切れのお店が多いようだ。

 息子は、淡々と日常生活を送っているように見えたので、電話をもらってびっくり。

 家族一人一人が、今回の地震で、被災地のことはもちろん、日常生活を送るということについても、いろいろ考えたのだと思う。

 オイルショックの時には、便乗値上げや、在庫品の出し惜しみなどが問題になったが、今回はそのようなことは、起こっていないようだ。日本企業も、学習したということだろう。

 ふたたび、福島原発の3号機が悪さを始めた模様。今暫くは、原発から目が離せない。