5月29日(日) お葬式、全学PTA総会

週末だというのに、今週は生憎の空模様。

土曜日は、急に(当たり前か)遠方の告別式に参列しなければならず、日曜日は、息子の学校の全学PTA総会他に出席したので、一週間の疲れを取る暇もなかった。

お葬式というのは、自分で考える以上に、精神の消耗が激しいことに、最近になって気付いた。

GWのお葬式も、今回のお葬式もそうだったが、帰宅後何をする気も起らず、ベッドにゴロン状態であった。歳を取ったから、と言ってしまえばそれまでだが、そう簡単な問題でもないようだ。

親類と言っても、両親・兄弟との別れ、という訳ではなかったので、不謹慎な言い方をすれば、自分としては、そんなに堪えたつもりはなかった。

それでも、こんな疲労感に襲われるのは、何故だろう、と考えてみた。

ご遺体と対面し、お別れをする、という儀式が、私の精神をかなり消耗させるようである。

亡くなる原因は、高齢だったり、病気だったり、事故だったりするが、対面のお別れを許されるのは、前者の二つである。

自分の思い出の中のその人より、何回りも身体が小さくなって、棺に納まっている姿を見ることは辛いし、やがて訪れる、自分自身の死の姿を、否が応でも想像するからだ。

 以前、「歳を重ねることがうまく受け入れられない」と書いたが、歳を重ねた延長に死というものがあるのだから、「自分が年老いて死ぬことが受け入れられない」ということにもなるのだろう。

 歳を取って、小さくなる自分が想像できない。自殺するつもりなど無いが、綺麗なまま死にたいと思うのは、自己愛が強すぎるのか?

 仕事で疲れているところに、親類のお葬式が二つ続いて、考えなくてもいいことまで考えてしまった。

 これから、車で息子を実家まで送り届ける。